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陽だまりのきみへ

Sexy Zone「星の雨」とめぐりあう世界

2021年4月5日 掲載

去る2020年、未曾有のコロナ渦にのみ込まれた世界、今まであたり前のように行われていたライブやコンサートはほとんどが中止を余儀なくされ、無人、そして配信ライブに切り替わった。

これまでのささやかな人生、ライブ、コンサート、演劇、ミュージカル。それらエンターテイメントに心を、命を生かされてきたわたしも、現場に足を運べない寂しさに耐えつつ、いくつかの配信ライブや演劇を観た。

その中でも、一番心に残った歌についてどうしても書きたいことがあって、今わたしは様々な思いをめぐらせている。

あのライブを観たあの日、わたしの隣には7歳の末っ子がいた。まだちいさな手で頬杖をついて、四角いスマホ画面をじっと見つめていたものだ。

書きたいのは、彼の大事なお友達と冒頭に挙げた「星の雨」という歌についてだ。

うちの末っ子は7歳。おっとりとした姉とお調子者の兄を反面教師にして学び育った、まさに絵に描いたようなしっかりちゃっかりした最強末っ子である。

 要領がよく、いつも冷静でいて人の感情の機敏をよく理解する子だ。何かしたいこと、やってほしいことがあるときはそれらが一番叶えられやすいだろうタイミングを絶妙に見計らってすかさずぶっこんでくる。

 出勤前の鬼忙しい朝に、やれ靴下がないブラウスがないと騒ぎたてる長女や、夕方バタバタしている時に頼むから今このギャグをどうしても見てくれと騒ぎたてる長男とはえらい違いであった。

 そんな末っ子であるが、最初からそうだったかというと、けしてそんなことはなかった。

幼稚園に入園する前は、本当に臆病で人見知りで、どこへ行くにもわたしにひっついて離れられない子だった。入園前の幼児サークルでも、まあわたしから離れない。離れられないのだ。姉や兄のつながりでよく顔をあわせている子たちとさえまったく馴染めなかった。

 それに加え、大きな音や暗い場所、人がたくさんいる場所もまったくだめだった。水族館や映画館にも絶対に行きたがらない。食べものの好みもこだわりが強く難しかった。ものや服のデザインもそう。特定の色や形しか着ないし持ちたくない。アレがいや、これがイヤ、ととにかく好みがうるさい。

とはいえ、けしてそれを声高に主張するのではなく、「あ……そうだったの?ごめんね……?」というタイミングでぽつ、とこぼすものだから、なんとなくこっちが悪いような気がして、ついほだされてしまうのであった。

なにかにつけそんな調子で、客観的に見ればかなり難しい子だったのかもしれないけれど、「まあこんな子もいるのかなぁ」とのんびり育てることができたのは、ひとえに彼が末っ子だったからだろう。

自己主張の強い長女、アレルギーやぜんそく持ちで大変だった長男の子育て経験を経て思いがけず授かった末っ子は、生きて元気でいてくれるだけでまさに天使そのものだった。

しかしそんな天使とて、いつまでも親の懐でよしよししてはいられない。短所も個性とばかりにひたすら誉めて誉めてちやほやしているうちに社会という荒波にもまれる歳に、あっとう間になってしまった。

幼稚園に入園するとなると、やはりそれなりにお友達と楽しく過ごしてほしいという親としての思いが出てくる。しかし、わたしと一緒の幼児サークルさえこれっぽっちも馴染めなかった末っ子がはたして幼稚園という世界で気の合うお友達を作ることができるだろうか?

 末っ子が、そしてわたしが末っ子の大事なお友達、Aくんと出会ったのは、そんな不安と心配をいっぱいに抱えて挑んだ入園式のことだった。

 入園式、大方の予想通り末っ子は冷凍庫でカチンコチンに固められた冷凍みかんのようだった。騒いでいる子もいる。わあわあ泣いている子もいて、彼はそんな光景を見ていちいち固まってはじっとわたしの後ろで用心深く観察していた。

 小規模な幼稚園で兄姉のつながりもあるので、仲のよい子達はもうすでにかなり仲がよく楽しそうだ。そんな輪の中に末っ子が入れようはずもなかった。わたしは内心先が思いやられる思いだった。

そんな時、運命の出会いはあったのだ。末っ子と同じように母親の後ろでじっと固まっている同級生、それがAくんであった。

直感的に、もしかしたら末っ子と波長が合うかもしれないと思った。幸いAくんのママさんは顔見知りであった。話したことはなかったが、上の子がたしか同級生だったはずだ。わたしは勇気を出して話しかけてみた。

なんと話しかけたかは忘れてしまったけど、末っ子もAくんも『すごく人見知り』『慎重』『繊細』という共通項があり、親同士はあっという間に打ち解けたのを覚えている。Aくんママはとても穏やかで優しく落ち着いた方で、わたしはすぐに大好きになった。問題は息子たちのほうである。冷凍みかん同士では、友情も愛情も生まれようはずがないのだ。

こればっりは仕方ない。本人に任せるしかない。子どもの縁は子ども自身が結ぶのが一番自然でよいのだと、わたしはこれまでの経験で悟っていたのだった。

しかし、奇跡はわりとすぐに起きた。入園式から数日も過ぎたかといったある日、末っ子に「今日はなにしてた?」と、訊いたところ、Aくんの名前が挙がってきたのだ。今まで誰とも馴染めなかった末っ子の記念すべき第1歩、まさにファーストコンタクトであった。

 気持ち的には末っ子を抱き上げて胴上げしたいくらいのすさまじい感動であったが、さすがにそれは踏みとどまった。繊細な彼を怯えさせてはいけない。わたしはとりあえずこの感動を伝えねばと切々と連絡帳に書き連ねた。

先生からの答えはこうだ。

『よかったです。Aくんと○○くん(末っ子)はなんとなく波長が合うような感じがしたので、一緒に遊ぶよう促してみたり、わたしも一緒に3人で遊んでみたりしたら、最近は自然と仲良く遊んでくれるようになりました』

奇跡ではなく、神の采配であった。素晴らしい幼稚園の先生との出会いは、人生においてなによりの宝物に等しいと感じた。末っ子は恵まれている、とわたしはさらに感動にうち震えた。

実際、その先生は本当に素晴らしい先生で、末っ子はぐんぐん心も身体も成長し、やればできる、という自信と社会性をすさまじい勢いで身につけていった。

もとよりややこしい人間のロールモデルたる兄姉を見つつ育った末っ子にとって、同世代の子達のやんちゃぶりはさほど自分を脅かすものではない、と徐々に気付いたようでもあった。彼は度を超えた慎重さんだが、ひとたびここは安心な世界なのだと認識すれば自由に自分らしく振る舞えるのだと、わたしもその時初めて知ったのだ。Aくん以外にもたくさんのお友達ができ、なんなら卒園前の発表会ではクラス代表のあいさつを務めるまでになった。

 その一方でAくんともあいかわらず仲はよかった。Aくんの家族とわたしたち家族は幸いとても気が合って、一緒にキャンプに行ったり遊びに出掛けたりと、幼稚園を離れたプライベートでもかなり親しくしていたのだ。

 Aくんと末っ子は芯の部分がとても似ている、とわたしは感じていた。慎重で繊細で、いろいろなことを深く考えて不安になってしまう。なにかふっきれたように表むきは利発になった末っ子と違いAくんはあいかわらず大人しかったが、それでも幼稚園も学校も楽しく通っているようだった。

小学生になってからもその関係は続き、末っ子がさらに快活さを増して、活発な男の子たちとよりよく遊ぶようになっても、時折思い出したようにAくんの名前は挙がった。

その時、「Aくんとなにして遊んだの?」と聞くと、だいたいが

「図書室で一緒に絵本みてた」

と、答えることが多かった。

「なんで?」

と訊くと、

「あったかいから」と答える末っ子だ。

図書室には、昼下がりに日当たりのよい場所があるらしい。寒がりの末っ子が幼なじみのAくんと仲良く並んで絵本を見ている穏やかな様子は、見ていなくてもありありと目に浮かぶようだった。

  Aくんのおうちでも、わが家でも幼稚園でもお出かけ先でも、それはしょっちゅう目にする光景だったからだ。

まるで、ふたりにしかわからない言葉や決まりごとがあるようにぴたりと寄り添って絵本を眺めている末っ子とAくん。ページをめくるときだけ、どちらからともなくちょっと遠慮がちに「いい?」というふうに目配せをしあう。それは世界一静かで優しい、言葉のないふたりの会話だった。

やがて時は過ぎ時代はコロナ渦の渦に呑み込まれ、キャンプや旅行でしょっちゅう遊んでいたAくんの家族ともすこし距離ができてしまった。2年生になり、末っ子が遊ぶ約束をしてくるのはさらに活発な男の子たちが多くなっていった。

Aくんが学校に来ていない、とふいに耳にしたのはそんなある日のことだった。

「よくわかんないけど。病気みたい。お昼頃お母さんと一緒にすこしだけ来てる」

末っ子は言った。寝耳に水だった。

まさか、と思う。

Aくんは丈夫というわけではないが、それほど病弱というほどではなかった。それにお昼だけお母さんと一緒に来ているというのは……

気にはなるけれど、無遠慮に訊いてよいことかどうかはわからない。もしなにかあるなら話してくれるだろう、とわたしは思った。

Aくんのお母さんから連絡があったのはそれから約1ヶ月ほど後のこと。

Aくんとわたしたちはキャンプを通じて出会った共通の友人がいて、遠方に引っ越したその友人の新築祝いをどうするか、以前からやりとりをしていたその流れの中の告白だった。

いわく、Aくんが学校に行けなくなったのはある病気のせいである、とも言えるし、そうではない、とも言える。

  心の病気でもあり、同時に身体の病気でもあった。詳しいことは書けないけれど、ただそれ自体は薬でおさえられる軽いものだが、自分がその病気の症状が学校で出てしまいそれを友達にみられるかもしれないことが不安になり、そちらのほうで学校に行けなくなってしまったのだということだった。

わたしは驚きに言葉もなかった。Aくんがそんな問題をかかえていたことなど思いつきもしなかった。Aくんはただただ優しく穏やかで、人よりもほんのすこしだけ繊細なだけの大人しい男の子だ。末っ子の大好きな、大好きな幼なじみ。

  だけど、とわたしは思った。あれはたしか去年だった。一緒にスポーツ施設に遊びに行った時、Aくんのお母さんが話していたこと。

Aくんが繊細でちょっとしたことが気になってしまうこと、不安を抱えて人よりもやることが遅くなってしまうこと、保健センターで相談して、大きな病院で検査してもらうことになったのだと。

『でも、これといって原因が見つからなくて…』

彼女は表情を曇らせていたのを覚えている。

『たぶんこれかな?という数値は出てきたんだけど、決め手というわけじゃないし』

自分がその時なんと言ったのか、はっきり覚えていなかった。でも息子と同じように大きな音を怖がるAくんにMRIを用いての検査までするのは、よっぽどのことなのだ、と思った。ただ、どうしてだろう?という疑問は残った。

笑いころげ、はしゃぎまわり、子犬のように元気に仲良く遊んでいる末っ子とAくんが目の前にいた。Aくんにそんな検査をしなければならないほどのどんな問題があるというのだろう、と。時折意見をぶつかり合わせながらもお互いの気持ちに敏感なふたりは、けして激しくお互いを傷つけたりせず、穏やかで平和で優しくお互いを思いあっている。やんちゃな子たちにはわりと攻撃的な言葉を投げつけあったりすることもある末っ子も、Aくんにだけは絶対にそんな言葉は使わなかった。Aくんもそうだ………

『でも、今回のこれでやっと原因らしきものが見つかってちょっとホッとしてる。ずっとなんでだろう?って思ってるのはあったから……』

Aくんのお母さんは言った。知らなかった。そんなに気にしていたなんて。

彼女の気持ちに寄り添ってあげられていなかったことが、すごくすごくショックだった。だって本当にAくんは末っ子にとって仲良しで大好きな幼なじみ、それでしかなかったのだから。

Aくんがいたから、幼稚園も楽しく通えた。絶対に行きたがらなかった水族館もAくんと一緒なら行く、と言って克服できたのだ。ピアノ教室もそう。習いたくて、でも人見知りでずっと勇気が出なかったのに、先に習っていて発表会で立派に演奏するAくんを見て、自分にもできるかも、と教室の扉を叩くことができたのだ。

思えば臆病な末っ子の成長の陰にはいつもAくんがいた。Aくんがいたから、この世界は怖くない、ひとりでも安心して歩いてゆけるんだと末っ子は知ることができたのだ。

世界は広い。産まれてからまだ数年。まだちいさな、ほんのちいさな彼ら。

どんなに怖かっただろう。ほんのすこしだけ他の子たちより考えすぎて不安になって。怯えて怖れて動けなくなって。

それを理解してくれたはAくんだけだった。

なんと言っていいか、わからなかった。でも、これだけは伝えたかった。

『うまく言えないけど、○○もわたしもAくんが大好きだよ。特別だとか人と違うとか思ったこと本当に1度もない。優しくて思いやりがあって、それが人としていちばん大事なことだと思う。ずっとずっとAくんと遊んだり出掛けたり、ずっと楽しかったから……』

なんの力にもなれなくても、この気持ちだけは心の底から真実だと言えた。Aくんのような優しくて思いやりのある男の子が苦しい思いをする世の中のほうが間違っている。ふいに激しい怒りとともに、わたしは強烈にそう思った。

人と違うこと、優れていたり劣っていたり、弱かったり強かったり。そんなことはその人のせいじゃない。もっとありのままに、自由に、個性が受けとめられるようになればいいと願うのは、はたして夢物語だろうか。

人それぞれ姿かたちが違うように、心のかたちも違って当たり前なのだ。様々な心のありようを、心のかたちを、もっと広い心で受けとめることができたら。

奇跡はきっとそんなに難しいことじゃない。幼稚園の先生がふとしたことで気にかけてくれて末っ子とAくんを引き合わせてくれたように、ほんのすこしだけ誰かを思いやることで救われる心があるのかもしれない。変わってゆくなにかがあるのかもしれないのに。

そんな中、聴いたSexy Zoneの『星の雨』は、ささくれだった心を、理不尽な怒りに燃えていた心をそっと鎮めてくれるようだった。

改めて、発売されたBlu-rayを見てその歌詞をかみしめ、Aくんのことを思いだして祈るような気持ちになった。

愛する人を愛したいから

懸命に生きて

命の奇跡 遮る様に

時代は僕を試す

身体の中で脈打つ血潮

皆同じ生き物だ

なのに僕らは 比べたがるの?

孤独に怯えないで』

『今、星の雨 風が香る

この世界のどこかで見上げているだろう空

僕たちはこの手で

願い浮かべてみよう

儚く昇ってくよ

ほら、星の雨 降り出してく

涙も悲しみも全て洗い流して

大切な“愛”が“希望”へと変わってく

“命”はここで生きている...』

一番大切なことは、そばにいる誰かの心をあたためてあげられる思いやりなのだと、わたしは心底思っている。

わたしがこの文章を書こうと思ったのは、もしこの文を読んだ人の周りに学校に来られない誰かがいても、偏よらず、まっさらな目で、まっしろな心で見てあげてほしい、と心の底から願うから。

優しくて、繊細で、だからこそ不安を抱えてしまう大切なお友だちなのかもしれない、と想像してあげてほしいと思う。知らない世界でも怖くないのだと、広い心で、大きな心で迎えいれてあげてほしい。できることなら。

この『星の雨』を歌うSexy Zoneの休養している大切なメンバー、マリウス葉さんも。

彼個人のことはわからないけれど、疲れてしまったときは休むこと、それは特別なことじゃなくてごく自然なこと。ありのままでそのままで、世の中に受け入れられるようになってほしい。心からそう願う。

ちいさかった末っ子、人よりもほんのすこしだけ深くいろんなことを考えすぎて、知らない世界に怯えて、なにもできなかった。

でも、初めてふれあえたAくんの心、そして手のひらはあたたかくて、世界はぬくもりに満ちたものであると知ったのだ。

『星の雨』を聴くたびに、Aくんの心がぬくもりに満ちた世界に包まれますように、と願ってやまない。Aくんのことが大好きなんだと、これから何度でも何度でも伝えたい。

あのあたたかくて陽の光に満ちた昼下がりの図書室で、群れから離れた2匹のちいさな猫みたいだった末っ子とAくん。

 陽だまりのようなぬくもりで、優しい心が包まれる世界でありますように。

星の雨のように、先の見えない闇のなかでも、希望の光がそれを求める誰しもにふりそそぎますように。

陽だまりのきみへ。太陽のようなあなたへ。

笑顔で会えるその日まで。

祈りはいつまでも。

この先もずっと心のなかにあるから。

『星の雨』Sexy Zone

シングル「イノセントデイズ」通常版

アルバム「SZ10TH」通常版

Blu-ray&DVD「POP×STEPツアー2020」収録

世界を変えるのはいつも

Sexy Zone「Change the world」

2021年3月5日 掲載

彼らがこの世に生まれでたとき

その手のひらはまだ本当にちいさかった。

高く透きとおった無垢な少年の声で、自分たちの名前をたからかに叫んでいた。

「We are Sexy Zone

その時はまだきっとその重みを知らなかった。

いまはただ、誇るべきその名前を。

Sexy Zone

  彼らのことをすこしでも知っているでしょうか?

彼らはアイドル。年齢若干14歳という前代未聞の衝撃を世に与えて鮮烈にデビューを飾った5人組のジャニーズのアイドルグループだ。

それはもう今から約10年前の話。当時芸能ニュースなど雑音にしか思えなかったわたしにもその華々しいデビューのしらせはおおいなる驚愕とともに耳に届いたものだった。

  だってとにかく5人ともめちゃくちゃキラキラ。まあジャニーズなのだから当然なのかもしれないけれど、なにより本当に彼らはちいさかった。

声変わりもまだ途中の透きとおったエンジェルボイスの男の子たちが「ぼくたちがセクシーゾーンです!」とやや緊張気味ながらも無邪気に笑顔を見せる姿は、なんというか、「おお………」とテレビ前でのけぞるしかなかった。

まあ、本当に子どもだったので。

その時はそれ以上の印象を持つこともなく時は過ぎ、2019年、偶然彼らのパフォーマンスを見て突然わたしは彼らの音楽性と人間力に惹かれ瞬く間にファンになってしまうのだけれど、当時の自分に言ってもこれは絶っっっ対に信じないだろうな、と思う。とかく沼というものはそれと知らずいきなり目の前に現れるものである。

2021年、そんな彼らは10周年を迎え、この3月3日に発売された10周年記念アルバム「SZ10TH」で「RIGHT NEXT TO YOU」「Change the world」という新曲を発表した。

彼らは間違いなくアイドルなのだけれど、わたしが自分でも驚くくらいのスピードで彼らのファンになってしまったのは、その楽曲のクオリティの高さにがある。

リード曲「RIGHT NEXT TO YOU」は全編英語詞というチャレンジに加え、彼らのもとよりのパフォーマンス力の高さをフルに生かした目の覚めるような鮮やかなフォーメーションダンスと世界を意識したクオリティの高い楽曲が話題となり、ショートバージョンのMVはYouTube急上昇1位を獲得するという快挙を成し遂げた。

 もともとわたしはジャニーズのCDを買うという習慣がなかった。これは完全に好みだと思うんだけれど、ユニゾンの歌唱というものにどうしても曲としての魅力を感じなかったからだ。

 わたしがまずSexy ZoneのCDを聴いてめちゃくちゃ驚いたのは、そのユニゾンがとにかく美しいこと。

といってもメンバー5人の声に似かよったところはまるでない。

 中島健人さんの透明感ありながらも不思議な色香のあるハイトーンボイス、菊池風磨さんの濡れたような艶のあるややハスキーな声、佐藤勝利さんの硬質なガラスのようなきりりとした印象の声、松島聡さんの清涼感ある少年のようなきれいな歌声、マリウス葉さんのまろやかでやわらかい色々なものを包み込んでくれそうなエンジェルボイス。

 初めて彼らの歌をちゃんと聴いたとき、5人それぞれ本当に様々な個性をもつ声質ながら、合わさった時のたぐいまれなき美しさにはっとさせられた。ここぞというときに耳に心地よく響いてくる伸びやかな5人の歌声のハーモニーは、素晴らしい楽曲の魅力を余すところなく伝えてくれる。

この新曲「Change the world」も、その彼らの武器であるユニゾンの美しさが堪能できるとても美しいメロディラインの良曲であるとともに10周年にあたり、メンバー5人が作詞したメモリアルな1曲となっている。まさにmade in Sexy Zoneな彼らの歩みの詩なのだった。

「Change the world」というこの曲。

彼らはかつて、世界を変えたいと望んだのだろうか?

世界を変えたいと望む気持ちが表れているのか?

「Hey! 想いよ届け

Yeah! 夢に踊る

With you With you ほらおいで

何度も何度も挑むんだ」

この希望に満ちあふれた歌詞と、曲名の示す意味はなんだろうか。

「世界を変える」とはどういうこと?

人生というものをそこそこ長く歩み続けていると、世界を変えたい、または世界が変わった、と思う瞬間が訪れることがある。

「Change the world」というタイトルで思い出す。わたしの場合、それは結婚式の日であった。

といっても、永遠の愛を誓い……というようなきれいな話ではなく、自分のどうしようもないバカさに気づいたのだった。それが世界が変わった瞬間だった。

あれはもう○○年前のとても寒い日。それは誇張ではなく本当にとてつもなく寒い日だった。なにしろ大阪に大雪が降っていたのだから。

その寒すぎるまだ暗い日の早朝、わたしは田舎にいる母に泣きながら電話をかけていた。わたしと夫は準備があるので、前日から式場のある大阪に泊まっていたのだった。

わたしには大好きな祖父がいた。母方の祖父は本当に優しくあたたかい日だまりのような人で、ただただ自由気ままでわがままな孫娘の個性をおおらかに受けとめてくれた。

 それというのも、祖父にとって母がわりと高齢になってからやっとできたただひとりの娘だったからというのもあると思う。祖母は身体が強くなく、母が20歳になる前に儚くなってしまったらしい。

男手ひとりで母を嫁に出すのは本当に大変だったのだと、わたしはちいさい時からくり返し聞かされた。今ならいざ知らず昔のこと、結納、嫁入り道具、結婚式と、本来なら夫婦で協力しあいすすめる準備という準備を、祖父は親類の手を借りつつたったひとりでしなくてはならなかった。

 わたしには兄弟もいるが、孫娘はわたしひとり。その時の大変な思いと結婚式の感極まった嬉しさをくり返し語る祖父は、わたしの結婚式をとてもとても楽しみにしていたのだ。

「たぶん、思い出すんだろうね。その時のことを」

そう語る母も懐かしそうな顔をしていた。もちろんのこと、母も祖父を深く愛していた。わたしから見てもお互いをとことん思いやる本当に仲むつまじい親子だった。

そんなこんなで迎えた結婚式だったが、当日はなんとその冬一番の寒波が到来し、数年ぶりに大阪にも雪が降った。

もちろん、わたしの実家のある田舎もおそらくは大雪に違いなかった。わたしは突然心配になった。

祖父は一週間ほど前から軽い風邪を引き、体調次第では結婚式に出られないかも、という話を母から聞いていた。祖父はもう90歳近い高齢だったのだ。

あんなに、あんなに楽しみにしていたのに。

理由はもう忘れてしまった。どうしても1月がいいとわがままを通したのはわたしだった。式場もそう。もっと近くにないの?と言う母の困り顔を無視したのはわたしだ。

どうして、どうしてこんな季節にしてしまったんだろう。どうして祖父のことを考え、近くの式場にしなかったんだろう。誰より喜んでくれた、誰より見せたかった祖父がもし来られなかったらわたしのせいだ。

 心配で眠れず、まだ暗い早朝、母に電話をかけた。今思えば式前の緊張と不安ですこしパニックになっていたのかもしれない。

 ただおろおろと、泣きそうになっているわたしを母は最初はなだめようと優しい声を出していたが、らちがあかないと思ったのか、しまいには突然キレた。

「いい加減にしなさいっ。あんたにはもう、新しい家族がいるんでしょうが。こっちのことはいいから、そっちのことだけを考えてなさいっ」

おっとりして大きな声を出すことさえめったになかった母にあれほど激しく怒鳴られたのは、後にも先にもあの瞬間だけだった。 びっくりして涙も瞬時にひっこんだ。

「お父さんも、思ったよりは元気にしてるから。こっちのことは大丈夫だから」

  お父さん?

「?」 のマークが頭にとびかうわたしを取り残し、母はさっさと電話を切った。

すっかり忘れていたけど、無口で穏やかであまり子どものことに口を出さない父にとって、わたしは頑固でわがままで無鉄砲で、散々心配をかけまくった弾丸娘であった。結婚のことにも何も言わなかったが、ただひとつ新居を実家から遠く離れた場所にした時だけ、すこし寂しそうに「遠いなぁ……」と呟いていたのを覚えている。

気がつくと、ぐーすか寝ていたはずの夫が起きていた。式場のこと、季節のこと、母に違う意見を言われているのだと話したとき、「よくわかんないけど、お母さんの言うことをきいといたほうがいいんじゃないの?」と諭してくれたのはこの穏やかな夫だった。きかなかったのはわたしだ。

ごめんなさい、とわたしは激しく後悔した。ごめんなさい。ばかだった。わがままだった。子どもだった。まわりの人はみんな優しくて大人だった。ただただ自分の愚かさに泣けてきて、結果まぶたは2倍程度にも腫れあがった。

結局、無事祖父も母も父も式場に到着し、さらに祖父はすこぶる元気だった。俳句が趣味だった祖父がこの日のために俳句を詠んでくれるサプライズまであった。その後に司会者からひと言コメントを求められた祖父は、マイクがキィーンゴボボと耳障りな悲鳴をあげるくらい超特大の大声で「幸せになれよ!」と叫んだ。会場中の人たちがうっとこらえる中、当の祖父だけが平然としていた。祖父は耳がとてつもなく遠かったのだ。

背筋が伸びる思いで、わたしは「はい」と思った。わたしには幸せになる義務がある。幸せになって、心配をかけたたくさんの人たちを安心させてあげなければならない。それがきっと祖父を幸せにする。祖父がわたしを大事にしてくれたのも、祖父が母をなにより愛しているからだ。愛と優しさといたわりで、わたしたちはみんなみんなつながっている。この自分を包み込んでくれているたくさんのぬくもりに気付いたとき、わたしの世界は変わったのだった。もう20歳をとうに越えた年齢での、遅いといえば遅すぎる気付きであった。

祖父はもういないけれど、あの雪の日、祖父のあの言葉を聞けて本当によかったと思う。愛を知れてよかった。

まだ10代の年齢でデビューしたSexy Zoneたちも、世界が変わる瞬間があっただろうか、と思う。デビュー当時のことはリアルタイムでは知らなかったけれど、本当に様々なことがあったグループなのだ。

それは試練であったり、己のうちの葛藤であったり、ぶつかりあって傷付いたことであったり。自分自身で精一杯なときに他者を思いやる余裕などない、そんな年代は誰しもあるはずだ。

そんな、聞いている方にしてみれば時に痛くも感じる言葉の数々が、赤裸々な想いが「Change the world」にはたくさんたくさんちりばめられている。

幼くしてデビューした彼ら、その当時はまだ未熟で、そして彼らをとりまく環境もけして生易しいものではなかったかもしれない。

 それでも、彼らを包んでくれる輪の中にはいつも彼らを見守る愛があったのではないか。「Change the world」のMV、そして10年経っても強く、ただまっすぐ前をむく彼らを見ているとそんなふうに感じてしまう。

けしてきれいごとではすまない芸能界という世界の中で、彼らはまさに人間形成の時期を過ごし、大人といわれる年齢になった。

ことあるごとに「今あるのは支えてくれたファンのおかげ」「Sexy Zoneと関わる人たちに誇らしい思いをさせてあげたい」と周囲への感謝を口にする彼ら。

そしてその言葉どおり、何事にも驚くほど真面目に誠実に取り組む彼らはとうに、わたしが20代半ばにしてようやく泣きながら悟った自分を包み込んでくれている愛やいたわりの重みをしっかりと感じ、受けとめているのではないかと思う。

稀代の天才プロデューサーに幼くして才能を見込まれた5人。優しい彼らは周囲の期待を一身に背負い、時に応えられなかったことが本当に悔しくつらかったかもしれない。それでも歌詞のとおり、何度も何度も挑んできた。

強く、折れない心。傷だらけでも。陽を浴びて育った樹はまっすぐで強いのだと感じる。

きっといつか、どんな風雨の中でも揺るがずに広い空に枝を伸ばし、彼ららしい色の花を咲かせてくれると思う。どんな花でもいい。彼ららしい色であれば。

もし10年前、いや何年か前に彼らを見て、「ああ、知ってる」と思う人がいても、その彼らと今の彼らはまったく違う。驚くほどの速さで彼らの世界は変わり続けている。まさにその「Change the world」の曲名のとおり。

表現力も、歌唱力も、パフォーマンスも、そして強さも、弱さも、優しさも。

自分たちを包む愛を知り、たくさんの傷や痛みを抱えながらも翔ぶように進化してゆく彼らの世界は、はたして美しいだろうか。

美しくあってくれるよう、支えてあげたいと思う。彼らを包む愛とぬくもりでありたい。

夢の中で踊るような日々であっても、奢ることなくただ真摯に近道のない道を歩んできた彼らがありふれた日々を生きる喜びを、今を生きてゆく勇気と幸せを教えてくれる。5人で作詞したという「Change the world」にはそんな10年間を歩んできた力強さを感じる。

きっと強くなった。痛みのぶんだけ強くなり、今また大切なものを背負って。

「Change the world」を聴くと、青くて子どもだった自分を思い出す。そして、世界を変えるのはいつだって自分なのだということを強く思う。

他者の決めた価値ではなく、愛がここにあればいい。愛とぬくもりと痛みを知る彼らはきっとこれからもきっと強く歩んでくれるのではないかと思う。

 確かなことはわからないけれど、明日もしなにがあっても、いつかこの夢が終わっても終わらなくても、10年間、時に風雨にさらされながらも強くまっすぐな強い樹になった彼らが信じる道を、自分も信じたいと思うのだ。

子どもから大人になり、世界が愛に満ちていることを知った。変わった世界はとても美しく見えた。

「Change the world」がどういう意味や意図で付けられたのか、定かなことはわからないけど、うつくしくあざやかに、あたたかく包まれながらうつり変わってきた彼らの抱く「世界」を、これから変わってゆくだろう「世界」を、そしてとびだしてゆくかもしれない「世界」を見届けたいと思う。

彼らの音楽がこの先どんな風に描かれてゆくのか楽しみでならない。どんな形でも、完璧に完全じゃなくてもいい。きっと愛とぬくもりの輪が彼らをつないでくれるに違いないから。

 いびつでもいい。いつかきっと完全な輪になるはずの、光に満ちたその日まで。

「Change the world」

Sexy Zone10周年記念アルバム「SH10TH」収録

なにものでもないきみよ 顔をあげて

Sexy Zoneとかれらの愛すべきNOT FOUNDな日々

 2020年12月2日 掲載

「存在証明」自分がたしかに存在すると証明すること。

これは結成10年めを迎えたジャニーズアイドルグループSexy Zoneが、11月4日に発売した新曲「NOT FOUND」の中で用いた歌詞の一部である。

 とにかく文句なしにカッコいい!!!と叫びたくなるこの曲なのだけれど、今までいかにも「アイドル」らしい華やかな曲の多かった彼らの楽曲とはがらりとイメージが変わったこの1曲。

 始まりを告げるサックスは華やかなステージの開幕のベルでなく、知る人ぞ知る街の片隅のジャズバーのステージにひそやかに灯るオレンジの灯りのよう。

どこか懐かしくて、でもオシャレで新しいジャジーなイントロからくり出されるのは菊池風磨のやわらかい刃で斬り込むような甘い毒のあるAメロ。

 続くまろやかで文句なしにうつくしいマリウス葉のエンジェルボイス、ごくごく素直でまっすぐで透明感のある松島聡の歌声でふわりと浄化されたかと思ったところに、中島健人のゾクゾクするような華やかな色香のあるBメロが始まり、硬質なガラスのようなきらめきのある佐藤勝利のフレーズが呼応したかと思いきや、またもや中島健人のSexyVoiceが物語の扉を開くかのように鮮やかに艶やかにサビへと導く。

 この布陣が実に完璧だった。何度も転調する短調のメロディーはぐるぐると螺旋階段を回り続けているようなイメージだろうか。

 それはタイアップであるドラマの世界観とも合っているし、サビにあるように「もがいて」いる今の彼らを表しているようにも思える。

 とにかくこの曲、彼らの声と表現の魅力がフルに発揮される楽曲、編曲になっていて、聴いた瞬間、身体の芯が痺れるようなカッコよすぎるくらいカッコいい「NOT FOUND」なのだけれど、わたしがこの曲を聴いて、ひょんなことから息子の「存在証明」、そして彼らの「存在証明」について想いを馳せることになったのは、まだこの曲が発売されてひと月にも満たない11月半ば過ぎのことだった。

 うちの息子。長男齢11歳。おっとり姉としっかり末っ子に挟まれたちゃっかり中間管理職である。

彼はいわゆるお調子者で、朝起きた瞬間からダジャレやギャグを考えているようなタイプ。そんなタイプがあるのかどうかはわからないが、とにかく人を笑わせようという情熱がすごい。彼の目の前で液体を口に含むのは非常に危険であった。必ず変顔か一発ギャグで笑わせようとするからである。主に牛乳でその被害にあっているのは末っ子であったが、当然ながらしこたまわたしに怒られる上、被害にあったカーペット机その他諸々を掃除させられるので最近ようやく自粛するようになった。

「なんでおれが掃除を……?」「当然やろうが」「たしかに」ファーストインパクトから実に5年めの気付きであった。

 そんな長男は当然クラスでも目立つ存在で、授業参観に行くと永遠に手を挙げ続けている。あまりに挙げ続けているので逆に当たらないくらい挙げている。ちなみに当たらなくても勝手に発言して勝手に笑いを取っているなかなか鬱陶しい生徒であった。穴があったら入りたいと毎回思うが当然ながら学校にそんなものはなかった。絵に描いたような優等生ぶりで男女問わずモテまくっている末っ子とはえらい違いであったが、おそらくそちらの方は父系遺伝子の勝利であると思われた。

そんなある日の夕方、わたしのもとに学校から一本の電話が入った。珍しいことだった。しっかり末っ子はもとよりちゃっかり長男もやんちゃな子たちとつるんでいるわりには揉め事には不思議と巻き込まれないタイプだったからだ。

「○○(息子)くんがなにかした、というわけではないんですけれど……」

 お時間取らせて申し訳ありません、との先生のお言葉から始まったその内容とは。

 子どもたちは普段から学校にて決められたグループで集団下校をしている。そのグループで揉め事があったという。

 なんでも長男と同じ5年生の児童3人が、2年生の子がちゃんと並ばないといって傘で叩いたりよってたかってきつく言って泣かせてしまったらしい。

その2年生の子もわりとやんちゃで決まりを守らないタイプで、まったく非がないというわけではないらしいが、とにかく2年生の子の母親がお怒りで、加害者である5年生3人は「叩いてない」「並ばせただけ」と言いはっているので、おそらくその場にいただろううちの息子に状況を聞きたいとのことだった。

「学校でも聞いたんですけど、見てない、と言うだけなので………同じ学年は並んで帰っているはずなので、見てないことはないと思うんですけど」

 学校では言いにくい部分もあると思いますので……と先生は言い、電話は終わった。

実にややこしい事態であった。子どものやったやらないほどあてにならないものはない。第3者の発言でさえ見当違いな場合もあるし。

 しかしこの状況では長男に訊くより他に仕方がなかったのだろう。

 こういう時に頼りになるしっかり者の末っ子は習い事に直接行くため車で迎えに行く日であった。

すでに帰宅して宿題中だった彼に事の顛末を訊いてみると、ここでも同じく「見てない」と言う。

「でもいつもは一緒に並んで帰ってるよね。同じ班だし、まったくなにも知らないってことないでしょ」

 せいぜい10人かそこらの班だ。一緒にいなくても前なり後ろなりでなんとなく状況を察するということがあるはずだ、と先生と同じくわたしも思ったが、どう訊いても「知らない」「見てない」と言うだけ。

おや、と思う。これはなにかあるな、とは親の直感であった。

「見てないってことないよね?同じ班でしょうが」

同じ言葉をワントーン声色を下げてもう一度訊いてみると、長男がわかりやすく固まった。これ以上言い逃れはできないと悟ったのか、彼は事情を話しはじめた。

なんでも5年生3人がその2年生にからむのは初めてではないらしい。以前からちょくちょくあって、自分はそれを見るのが嫌だからひとりだけ先に走って帰っていたと。

 なんだそりゃ、だ。

 見てないって言うけど、状況は把握していたわけだった。

「じゃあ○○の目から見て、どっちに非があると思う?並ばない2年の子?並ばせようと叩いた5年?」

と、訊くとそれには「5年」と答えた。

「じゃあ、なんでダメって注意しないの?見たくなくて走って逃げてどうすんの」

 その5年3人は同級生で、普段から仲良くしている子どもたちだし、仲良くしているから言いにくいってことはあるかもしれないが、ダメだと思ったら注意くらいできなくてどうする、とわたしは言った。勉強ができるよりスポーツができるより、困っている人がいたらまず一番最初に動ける人になってほしい、というのが物心つく前から子どもたちに話していたことだった。それが一番大事なことだよ、と。

 長男は口の中でなにかぽそぽそとしゃべっていたが、結局なにも言わず黙ったままだった。11歳。ぼちぼち反抗期の兆しも見えていた。

 そうしているうちに塾の時間になり、むっつり黙った長男を乗せ車を運転しつつ考えた。

 何故大事なことが言えないんだろう。クラス全員の前で3日あたためたギャグを披露して大滑りする鋼のメンタルがあれば、仲の良い友人の悪ふざけに注意するくらいできないものか。しかも見たくないから走って逃げるとは。

 そこでわたしははっとした。

 唐突に思い出した。まだほんのちいさいころ

 とても気持ちが弱い子だった。

 負の感情に対して。

 当時イヤイヤ期の長女がだだをこねて、わたしに怒られて泣きそうになると、姉の前に関係のないこの長男が先に泣き出していた。なにかにつけそんなことばかりだった。どんくさい長女はよくすっころんで泣いていたが、自分が泣くと長男も泣いてしまうので我慢してくれるかと思いきやまったくそんなことはなく、いつもどちらが転んだのかわからない大合唱だった。

 お風呂がいやだと泣きわめく長女のとなりで、目に涙をいっぱいためて眉をきゅっと寄せている長男の顔は、今でもはっきり思い出せる。

 明るい性格に育ったため普段はそれを意識することは減っていたが、そんなに気持ちの強い子じゃなかった。人が傷付けられているところを絶対に見たくないし、友達に意見する強さもない。でも姉弟のなかで誰より母親の気持ちを思いやってくれるのもこの子だった。

 そうか、そうなんだな、と思う。

 これからこの子はもしかしたら大変かもしれない。ほぼ全員友達みたいなアットホームな小学校でさえこうなのだから。中学、高校と進学して、もっとたくさんの人、たくさんの今ではおよびもつかないような悪意にさらされることもあるかもしれない。それに耐えられるのだろうか?

 なにか、これからの彼を支えてあげられるような、そんな言葉はないだろうか。

 そう考えたとき、車の中で流れてきた「NOT FOUND」の存在証明という言葉。

 彼が彼であるという証明。それをわたしは知っている。だってずっと見てきたんだもの。

 むっつりと黙っている長男。彼もまたもがいている。本当はダメだな、いやだなと思っていることに注意したいのかもしれない。でもできないのだ。強さが足りない。

 素直に伝えるしかない。

 わたしは言った。

 なにがあっても、上級生が複数で下級生を叩いたりするのはダメよね?ダメだって思っても注意する勇気がでなかったのは、今回は過ぎたことだから仕方ないけど、今度からこういうことがあったら少しだけ勇気が出るといいよね。

 これはずっとあなたを見てきたわたしだから言えるけれど、もしこれから友人関係で迷ったり傷付いたりどうしていいかわからないことがあったら、他の誰の言うこともきかなくていいから自分の心がどうしたいか、ゆっくり考えてみてほしい。

 自分の心に訊いてみて、自分が嫌だなって思うことは、いくら友達がしてても絶対にしないで。

逆に自分の心がしてあげたい、と思うことは、勇気をだしてしてあげられたらいいよね。

 それでもしひとりになってしまうことがあっても、あなたの優しさを見つけてくれる人は絶対にいるから。

 心配しなくていい。

 自分よりもそばにいる人が傷付くことに傷付いてしまう。そんな優しい心を知ってるし、なによりも信じている。

 だからあなたも自分を信じて、自分の心が思うようにしなさい。

 この先、なにがあっても。

 どうにかこの言葉が届いてほしい、と願いながら告げた。弱すぎて、優しすぎる彼のこれからを支えてくれますように、と。

 届いたかどうかはわからない。ただ「うん」とそう言って長男は車を降りた。

 帰りの車のなか、わたしはまたぼんやりと「NOT FOUND」を聴きながら、この曲を歌う彼らSexy Zoneに対しても、まったく同じことを思った。

「存在証明」が「NOT FOUND」まだ見つからない、と歌い、もがく彼ら。

 けれど、ファンであるわたしたちは知っている。彼らがとびきり素晴らしいということを。

たくさんの壁と試練をのりこえてきた彼ら。

どんな状況であっても、ファンのために心をつくし懸命に誠意を見せてくれた。この自粛期間も。

 ファンに元気になってほしい、その想いを常に口にして、様々なコンテンツでたくさんの愛を届けてくれた彼らなのだ。こんなにもたくさんの幸せをくれた。

彼らの不器用な優しさ、丁寧さ、礼儀正しさ、人間としての真面目さ、誠実さ、お茶目なところ。

 そして、ステージの上での圧倒的な華やかさ、パフォーマンス力。

 個でいるときはそれぞれの個性が鮮やかに艶やかに花を咲かせ、集まるとばちばちと火花をあげながらきらめき爆発する凄まじいパワー。

 めくるめく彩り豊かな万華鏡のように多彩な魅力。

彼らはまだなにもなし得ていない、「存在証明」が見つからないと歌うが、彼らを想うファンの心が、愛が、彼らの「存在証明」になればいいのに。彼らの心に力を与えてあげられたらいいのに、と強く思う。

数字というものが大きく影響して彼らの評価につながる世界。彼らはいまだもどかしい、悔しい想いをしているに違いないけれど。

 表面でしか彼らを知らないノイズに惑わされないで。貶められないで。

 そんな価値のないものにどうか傷付かないで。傷付けられないで。

 そのまっすぐな心、うつくしい歌声、伸びやかな個性、まばゆいくらいの輝きをわたしたちは知っている。

 見ていたから、ずっと。

 見いるから、これからも。ずっと。

 できるなら、隙あらば斬りつけてくる無責任という刃からこの手のひらで守ってあげたいけれど。

 それはできない。どうしたってできないから。

 わたしたちは一心に願うしかない。

 いつだって愛はここにある。

 あなたたちが存在する意味はここにあるからと。

 ひとりひとりの今はまだちいさな想いのかけら。

いつかそれが大きな翼となって、彼らの心を守りますように。

 彼らの「存在証明」になりますように。

 その後長男がどうなったのかと言うと、実はどうにもなっていない。

 ゴタゴタは先生がうまく治めてくれて、平穏な日々は戻ってきた。

 しかしひとつだけ変化があったとすれば、長男が急にやたらベタベタするようになったこと。

 言ってももう5年生である。身体もそれなりに大きく、さらにそこはかとなく男臭さも漂う思春期男児に隙あらばにじりよってこられるのはなかなかの忍耐を要するゆゆしき事態であった。よっぽど背中に「social distance」と書いた紙を貼り付けておいてやろうかと思ったが、そこはなんとか踏みとどまった。

 反抗期で離れていこうとしていた素直な心がふたたび戻ってきたのを感じた。戻ってくるのは心だけならなおよかったんだけど、そうそう都合よくはいかないものだ。何事もそうだ。

 それに、こんなことは彼の長い長い人生のほんの一瞬にちがいないのだ。

 こんな時間なんてほんの一瞬で、すぐに彼はわたしのことなど振り返りもせずに、ひとりで育ったような顔をして勝手に自分の人生を歩きだすに違いない。それでいい。

 それでも。

 きみの素晴らしいところを、わたしは誰よりも知っている。

 まだきみはなにものでもなく、なにものかになるために、もがいてもがいて生きてゆくのかもしれないけれど。

 この広い世界で、どんな理不尽にも傷付けられないで。その心の思うまま、自由に生きて。

 なにものでもないきみよ、顔をあげて。

 まっすぐに胸を張って生きてほしい。

 なにもかもから守ってやりたいけど、そんな時期はもう終わったのだ。

 ここからは、彼のそのままを愛すること、信じることがわたしのつとめ。

 そしてわたしの愛するグループ、Sexy Zoneもそう。

そのままでも素晴らしいけれど、もがいてもがいてもっと素晴らしいなにかを見つけようとする彼らには、無限の可能性がある。

 それは彼らが現状に慢心せず、たとえ傷付いても笑われても必死にがむしゃらに広い世界に手を伸ばそうとしているから。

 だからまっすぐに顔をあげて。胸を張って誇りかに、自由にこの世界を生きて。

 世界中にどんなにたくさんのアイドルがいたって、わたしはSexy Zoneがいい。Sexy Zoneじゃなきゃだめだった。

 いまはまだ、長い長い旅の途中。

 いつかファンの愛が大きく強くなって、彼らの「存在証明」となれるその日まで。

 彼らの「NOT FOUND」な日々を、ただただ信じて、愛して、支えてあげたいと思うのだ。

POPなSTEPじゃなくても。

Sexy Zone2020ツアー「POP × STEP」小さな窓から愛、そして混沌とした世界を生きる。

2020年11月5日 1705 掲載

 幕が開き、幕が降りる。

 わたしは万感の想いで暗転したちいさな板を見つめる。

 きっとそのステージを見ていた日本中の人たちが、同じ祈りを胸に5人の若者の笑顔と涙を見守っていたんじゃないだろうか。

 そう、見守ることしかできない。いまは。

 手を振ることも、大声で愛を叫んでかれらに届けることもできなかったけれど。

 2020年、この時、この世界。

 たしかにわたしたちは繋がっていたと思う。

目に見えない電波で、目に見えない熱い想い、そして心はたしかに繋がっていた。

 それはきっと彼らがこちらに「伝えよう」「伝えたい」と強い想いをこめてその場所に立っていてくれたからではないかと思う。

 そんなふうに感じることができた、そんな2020。

 Sexy Zone、9年めの彼ら。

 なにも隠さずなにも否定せず過去の傷も悔しさもすべて抱いて、ただひたすら前を、未来をまっすぐに見つめる。

 そんな5人のまばゆいくらいの光あふれるステージが、モノトーンだった2020年に花が咲いたような彩りをくれた。

 この時、この瞬間を、きっと忘れないと思う。

 そもそも、来年10周年を迎えるジャニーズ アイドルグループ「Sexy Zone」がファンのみならず様々なジャンルの音楽通に『名盤』とのお墨付きをいただいた「POP × STEP!?」を堂々ひっさげて全国ツアーをスタートするはずだったのは、まだ春の足音も遠い3月のはじめのことだった。

 そこからの急転直下。世界はがらりとその景色を変えた。

 様々なエンターテイメントが本来咲き誇るはずであった場所と機会を失い、SexyZone「POP × STEP」ツアーも、再三の延期、再開、延期ののちに中止。配信ライブに切り替えることとなった。

 9カ月にわたるリハーサル。そのたび何度も作り替え、作り直し、やっと「POP × STEP」は日の目を見ることとなったのである。

 2020年、世界中の注目を集めるはずだった「日本」、そして「Tokyo」。

彼らのアルバム「POP × STEP!?」、そしてそのステージはまさにその「日本」、「Tokyo」において、「我はここにあり」と、存在証明の産声をあげるような、彼らの熱い血潮と強い意志が感じられるものであった。

 まず冒頭。

 目にとびこんでくるのは闇のなかの色とりどりのネオンのステージセット。

 漢字、カタカナ、塔であったり手裏剣のようなモチーフもあり、混沌としたそれは外国から見た「日本」をイメージしているという。

 そこからはじまる映像美に、まずは圧倒され、一気にその世界観に引き込まれてしまう。

「Welcome to Land of the Riging Sun」

という英語の堪能なメンバー、マリウス葉のうつくしい声の導きによって展開されるのは、日本でありながら日本でない、どこにもない、でもどこかにありそうな気がする、世にも不思議なめくるめく鮮やかな異世界

 きらきらと、ギラギラと。摩訶不思議なテクノサウンドにきらびやかなネオン、踊り狂う人形たち。

乱雑に入り乱れ妖艶な顔を見せる迷宮に迷い混み、気がつくとそこにあるのは1枚のレコード「POP × STEP」。

 能面のDJが針を落とし、唸るようなギターサウンドが始まりの時を告げた。

 たからかに、誇りかに、「SZ music 集まれ」と歌い上げるアルバム表題曲「極東DANCE」で、そのステージは幕を開けるのである。

 そこから続く「ROCK THA TOWN」、「BON BON TONIGHT」はまさにライブのボルテージを一気にぐっと引き上げてくれる痛快なアッパーチューン。春先、初めて配信ライブですこし遠慮がちにこちらに呼びかけてくれていた彼らはもうどこにもいなかった。

 驚いたのは、無人の会場であっても、彼らはとにかく全力で唸り、叫び、煽る。いっそ気持ちいいくらいに全力で。

 ペンライトの海の中に、彼らはファンの笑顔が見えているのかもしれない、と思えるくらいの渾身のパフォーマンスに見ているこちらの気持ちも一気に熱くなった。

そして2019年唯一のシングル「麒麟の子」を厳かに歌い上げた後、突然鳴り響く軽やかなチャイムの音。

 登場してきた緑の学生服のメンバー4人が、さわやかな青春の時を思わせる「BLUE MOMENT」、恋愛にじたばたする様をチャーミングに描いた「まっすぐのススメ!」、まぶしいくらいきらきらしたまっすぐな求愛のキュートソング「Lady ダイヤモンド」の3曲で、教育実習生の先生に告白して玉砕する、というミニドラマをコミカルに演じつつ、アイドルらしい軽やかなダンスと歌声を披露した。

 そしてその後、各メンバーの個性あふれるソロ曲を美しく鮮やかに表現した映像に導かれ、4人連続してのソロコーナーが続く。

 ファンへの大きな愛をさわやかに軽やかに歌い踊る中島健人、20歳の「今」という時間をごくごく素直にまろやかで語りかけるような優しさで歌うマリウス葉、ステージに立つものの光と影を歌った曲をショーに立つ自分を演じつつ表現した佐藤勝利、3人の男女の恋愛模様をシックにセクシーにしっとりと歌い上げた菊池風磨

 彼らのソロコーナーが秀逸なのは、4人が4人ともおそらく自分たちが歌いたい世界を表現しただけであると思われるのに、実に多彩でなにひとつ被らないこと。

 デビューして9年、表舞台で立ってきた4人は、いま4人ともが自分の表現したい世界を明確に持ち、その世界の主としてしっかりとその大地を踏みしめ立っているのがわかる。もちろんまだ若い4人のこと、これからもその世界は様々に彩りを変えてゆくに違いないけれど。

 それでも彼らにはひとりひとりが「自分はこう」と自信を持って言える強さ、輝きがあった。4人ともみんな違ってみんないいと断言できる素晴らしいソロコーナーだった。

 そしてその次、レーザーを使ったソロダンスから続く「make me bright」、「Blessed」はメロウでスローテンポな2曲。彼らの表現力と声の美しさを堪能でき、しっとりとその世界に酔いしれることのできる生歌唱のクオリティの高さにあらためて驚嘆させられる。

 それが終わるとまた舞台は様相を変え、ファン投票によって選ばれた1曲を披露するというコーナーで、万を持して休養していたメンバー松島聡が登場し、最終日は「ぎゅっと」をメンバーみんなが笑顔いっぱいで歌唱して、MCコーナーへと続く。

 その後披露された、11月4日発売の新曲「NOT FOUND」では、今現在の5人が、がむしゃらになって泥臭くとも自分たちの道をただひたすら探し続ける、という曲のテーマに沿った気迫のこもった熱いパフォーマンスに心を打たれた。

 そして、円形のステージに降る霧のような雨のなか、ふるえがくるほどのその歌声の美しさと表現力で魅せてくる「星の雨」、大きく動くステージセットで愛する人との別れを惜しむ様を叙情的にせつなく描いた1曲「One Ability」、花火を使った派手な演出でアイドルらしいバチバチにかっこいい痺れるパフォーマンスを披露した「Spark Light」に続き、今まさにわたしたちの心に寄り添い、励ましてくれる曲「MELODY」を、彼らの後輩であるアイドル候補生たちと笑顔いっぱいで歌い上げた。

 そこからまた一転、がらりとステージは変わる。いきなり大きな白い幕が降りてきたと思えば、そこからメンバーたちが大慌てで着替える様が影となり映し出され、登場してきたのはなんと特攻服を着た4人。

 ミニバイクに乗って縦横無尽に会場を走り回りながらコミカルに歌い上げるのは、昭和の歌謡曲の香りがするレトロでメロディアスな1曲「禁断の果実」。そしてその後の「カラクリだらけのテンダネス」もそうだ。

 彼らは今時の感覚を持つ令和のアイドルでありながら、わたしたちでさえ懐かしいと感じる「哀愁」といったものをも歌唱において体現するのにまったく違和感のない稀有な存在であることがわかる。

 それは彼らの、硬質だったり柔らかだったり、透明感、濡れたようなウェット感、それぞれの多彩な声質からくる表現力の高さかもしれないし、彼らの実直で昔気質な気質がどこか背後にオーバーラップするからかもしれない。

 その後、同じくレトロな昭和テイストを感じさせるロックナンバー「ダヴィンチ」の激しいシャウトで一気にボルテージがあがった後に続くのは、「2020 Come on to Tokyo」。

 彼らを創ってくれた、そもそもの開祖の師である亡き恩師がこの日本が世界中の注目を集める2020年に向けた夢と希望を込めたであろうその1曲。

 様相を変えてしまった2020年は、きっとその人が想い描いたものではなくなってしまったかもしれないけれど、それを歌う彼らの表情はまぶしいほどに晴れやかで、一点の曇りもなかった。

 それに続くジャニーズグループが長年歌いついできたという珠玉のファイトソング「勇気100%」も同じように、無限の可能性を秘めたたくさんの後輩たちとともに、あくまで明るく未来への希望だけを胸に、まばゆいくらいの笑顔でステージに立つ彼らには、かの亡き人の残した「Show must go on」の精神が確かに息づいているのを感じた。

 どんな困難な状況であっても、平和を、エンターテイメントの灯をけして途絶えさせてはいけないというその言葉。はからずもそれはまさに、今この現代を象徴するような言葉となってしまった。

 まだほんの幼き頃にその偉大な人に見出だされ、選ばれてステージに立ち続けてきた彼らが今まさにその言葉を体言するように、わたしたちに全力で愛と勇気を届けてくれた。

 未来はいつだって、その手のなかにある。あきらめない限り夢は続く。つらいときはいつだってそばにいるから、と。

 彼らからのそのメッセージ。歌、笑顔、パフォーマンス。それらで心を救われる人々が日本中にいるのだ。無観客であっても全力で叫び、全力でこちらに呼びかける彼らの姿からは「伝えたい」という強い想いが痛いくらいに伝わってきた。

 それは思わず画面のこちら側でスタオベしたいくらいの、全身全霊をこめた愛と力あふれる華々しいステージであった。

 2020年、配信という形であっても、つながる愛はたしかにここにある。歌はここにある。愛をもってそれを伝えたいと願う人々がいるかぎり。

世界中のどこにいたって、気持ちはつながることができるのだ。

 オーラスと呼ばれる最終公演では、ラストソング「それでいいよ」、そしてアンコール曲である「RUN」に感極まって泣き出した最年少メンバーマリウス葉、そしてその相棒である2年あまりの療養から復帰した松島聡

涙をこらえながらも強く前を見つめてステージに立つふたりを、こちらも涙なしでは見ることができなかった。

彼らの道は平坦ではなく、壁はひとつじゃなかった。5人ではじまり、3人になり、5人に戻ったかと思ったとたんまた4人になり、そうして今、5人は力強く、その意志をひとつにしてまたステージに立つ。

 グループを牽引する年長たちは泣かなかった。

 強く、ただ強くまっすぐ前を見つめ、第2のデビュー曲であり、彼らのこれからの意志表明とも言える「止まらない」という歌詞を圧巻のパフォーマンスとともに歌い上げる。

 ここはまだ終わりじゃない。ゴールはまだまだ遠い道の先。そう告げるかのような、ふるえがくるほどの強い瞳。

 彼らの目指す道のゆく先には、おそらく、きっと「世界」があるんじゃないかな、と思う。

彼らの恩師がこの世を去った時、彼の目指した日本のエンターテイメントを「世界」へ、という夢をはっきり口に出したSexy Zone

 笑われてもいい。

 模倣でなく、傾倒でもなく、ジャパニーズエンターテイメントを「世界」へ羽ばたかせるにはどうすればよいのか?

 この「POP × STEP」がそれを模索し続ける彼らのひとつの布石であり、ある種の宣言であるとしたら、これほど痛快なことはないと思う。

 彼らがこのアルバムにおいて選びとったPOPSという選択。軽妙で、バラードであっても重すぎない。ロックだとしても激しすぎない。楽しい気持ちになったとき、楽しい気持ちになりたいとき、ふと気がつくとつい口ずさんでいるような、そんなあらゆる層の日本人の心に眠っているだろう曲たち。

 彼らはここにきてぐっと深みを増した表現力で多彩なその名曲の数々の魅力を見事に引き出している。

実際、アルバムに曲を提供してくれたアーティストは、メンバーである菊池風磨がメンバーにプレゼンし、交渉に加わったという。そうしたアルバムがファンのみならず、様々な層の人たちに名盤として評価されたのは、間違いなく彼らの大きな1歩なのではないだろうか。

 ジャニーズとして、ジャニーズらしくあるまま、メイドイン ジャパンが世界の扉を叩くことはできるのか。

 9年めの彼らは、まだまだきっと今も「模索中」だ。

この日も力強く披露した新曲「NOT FOUND」において「物足りないや」「もがいて もがいて」と歌うように。

 ネオンに照らされてた子どもたちはいま、自分たちの音楽を探し、自分たちの足で確かな道を歩みはじめたばかりだ。

 わたしがあの素晴らしいステージ、とても言葉になど表現できないと思ったステージについて書いてみようと思ったのは、彼らをまだ詳しく知らない人が、彼らがもし新しいステップを踏み出そうというニュースがあったとき、心の中だけでいいから、ほんの少しだけでもエールを送ってくれたなら、と思ったから。

 2020年、この混沌とした世界で、この時代で、彼らの選びとったステップ。そしてステージ。

 わくわく、ドキドキ、ハラハラ、未知への期待に胸を高鳴らせ、幕が開くあの瞬間の心がはじけるようなきらめき、命の輝き、それこそがエンターテイメント。生命を生かし、心を咲かせるもの。

 ジャニーズとして生まれ、ジャニーズという運命を選んだまま、ぐんと背を伸ばし、ただひたすら未知なる可能性に手を伸ばす。

「POP × STEP」はそんな未来への希望と、彼らの大きな愛、そして強い決意が感じられるようなステージだった。

 余談だけれど、グループを牽引する最年長中島健人が、「スマホタブレット、パソコン前のみんな!Wi-Fi最高か~?!今日もつながっていこうぜ!」と叫んだ時、わたしの隣でまだ赤ちゃんみたいなまあるい頬をぺったりくっつけて見ていた7歳の息子がぽかんとして「どぉゆうこと?」と呟き、わたしはアハハと笑ってしまった。

 悪くない。こういうのもなかなか悪くないなと思う。

開幕のベルが鳴り響き、会場が一体となって興奮と熱気に包まれるあの何にも変えがたい素晴らしい時間、あの空間。ふたたびあの瞬間に巡り会える日が、心から待ち遠しい。

 それでも、愛はここにあった。形は変わってしまっても、ここにも確かにあったのだ。

配信であってもなにも変わらない。彼らの強い想い、「伝えたい」という強い願いによって、無機質で冷たいちいさな窓からでも、たしかに伝わり、つながる想いがあると知った。

 2020年、失うばかりじゃない。失くすばかりじゃない。そこから得るものもあるのだと教えてくれたSexy Zone配信ライブ「POP × STEP」。

 それははるか未来を夢みる彼らの、そして混沌としたこの世界を生きていかねばならないわたしたちの、ちいさな、けれど大きなひとつの「STEP」だった。

きみの夢はどこからきたの。Sexy Zone「それでいいよ」

心病める優しき人と曇りなき子どもの瞳

  2020年9月11日 掲載

 「ねぇ それでいいよ

 いいよ いいよ

 どんな君だって それでいいよ

 きっと明日には 必ず笑える

 とびきりの笑顔で」

 そんな優しい言葉から始まる歌がある。

Sexy Zoneの最新アルバム「POP × STEP!?」におさめられている1曲。その名も「それでいいよ」である。

わたしはこの曲が本当に好きで好きで大好きで、アルバムを車にのっけて流しててもついこの曲ばかりリピートしてしまくらい好きだった。まさにエンドレスリピートな1曲。

 それくらいの珠玉のファイトソング、心をあたためてくれる1曲なんです。本当に。

歌詞をみて、「すてきな言葉だな~」と思った皆さま、ぜひ聴いてみてください。

 メロディにのっかると数百倍よいです!

 中島健人の透明感のあるハイトーンボイスのアカペラからはじまるやわらかで優しいメロディは、まるでただそこにあるだけでこちらの心をただただ肯定し、まるごとそっと包んでくれるような、穏やかで、素直で、シンプルで、それでいて気がつくとつい口ずさんでしまうくらい心に深い印象を残すうつくしさ。

 たぶん3回くらい聴いたら、翌日の超忙しい朝に鏡の前独占して前髪セットに命をかける娘の後ろから「ねぇ それでいいよ いいよ いいよ……」と口ずさむ自分がいるでしょう(わたしです)。

 とにかく、元気が出るすてきな1曲なのです。

ひょんなことから、Sexy Zoneというアイドルグループの楽曲とアイドル性に転がりおちたわたしは、とにかくかれらの楽曲とボーカルの素晴らしさに驚きました。これほんと「ジャニーズだから~」と手を出さないのは非常にもったいないと断言できます。

 FMラジオばっか聴いてたからジャニーズ音楽に触れる機会がほぼなかったこの○十年。あぁもったいなかった。

 とにかく「聴いて!」と言いたくなるこの曲なんですけれど、わたしがこの文章を書いてみようと思ったのは、この曲をどうしても届けたいあるこころ優しい人と出会ったからです。

 その人は7歳になる末っ子の担任の先生。

 日本中の学生がそうだったように、我が街の2020年新学期も波瀾づくしでした。

2020年、3月から学生はみなお休み、4月になっても新年度は始まらず、そろりそろりと始まったのは5月。

かの担任の先生(仮にA先生)とようやく「初めまして」したのは6月の半ばくらいだったかな。

「○○くん(末っ子)は本当に王道というか、正統派というか……すごくしっかりしていて、いつも助けてもらってます。」

 家庭訪問がなかったかわりに行われた懇談であった。おそらく30代後半~40代くらいに見えたかのA先生はとても真面目そうで優しそうな女性だった。質問してかえってくる答えも的確だし、ちょっと顔色の悪いことを除けば特に目につくこともなく、じゅうぶん好印象といってよかった。

 そんなA先生から発せられた「王道」「正統派」という単語。ひょんなことからジャニーズ沼に片足突っ込んでいたわたしは、突然のオタクカミングアウト欲求を前歯でせき止めた。いやまだ早い。「王道」といってもジャニーズアイドルのこととは限らない。カミングアウトしてもしそれが宗派違いだった場合、目も当てられない惨状になることはあきらかだった。加えて教室の外では次の順番を待つ保護者もいる。オタク話に花を咲かせている場合ではもちろんなかった。

「……はぁ、それはよかったです。」

 結果、わたしの発した間の抜けた言葉は、がらんとしたふたりだけの教室に空虚に響き渡った。それがA先生との初めての出会いで覚えていることのすべてだ。

 家に帰って末っ子に訊いてみた。

「A先生って何が好きなのか知ってる?」

「えぇ?」

オタク母の質問に末っ子は怪訝な顔をしながらも、

「きめつの刃かなぁ。」

と答えた。

「なんでわかるの?」

と訊くと「絵を描いてくれるから」と言う。なんでもなにかを頑張ると鬼滅の刃のキャラクターを描いて教室に貼ってくれるという。

へぇ~と思った。こういうふうに子どものやる気を出させてくれる先生はよい先生だ。

「でも……たまに保健室にいっちゃうけど。だからB先生がかわりに授業してくれる。」

ぽつりと付け加えた末っ子であった。

おや、と思う。

普段ならなんとも思わないが、このコロナ渦である。気になって

「体調悪いのかな?」と訊くと、

「なんか、こころの病気なんだって……でももう治ったって言ってたよ。」

 末っ子の言葉に、わたしは思わずぎょっとした。まだ7歳の息子からまさか「こころの病気」という単語が出てくるとは思わなかったからだ。

 息子いわく、A先生は以前務めていた学校で「こころの病気」を発症し、治療、療養した結果一定の回復をみたが、授業中など、つらかった事を思い出して体調が悪くなることがあるという。その際は保健室で休養しているらしい。

「校長先生がA先生を、うちの学校に呼んだって。うちの学校なら大丈夫だからって。」

 けっこうな内容の内情を、子どもに話しているんだな、と思った。わずかに嫌な予感がした。

息子の口から出てくるくらいだ。もっとおしゃべりな女の子たちの親にもおそらく伝わっていることだろうことは予測できた。

 案の定、しばらくのち、その件は保護者たちの間でちいさな騒動を起こした。「授業は大丈夫なのか」「うちの学校は療養施設じゃない」という保護者も幾人かはいた。しかし、皆口々にそうは言っても、学校に苦情の電話をかけたり教育委員会に談判しにゆく者の話はついぞ聞かなかった。

 お土地柄なのか、息子の通う小学校の保護者たちは大半がおとなしく良識のある常識人で、残りの一部は学校にも子どもにも興味がなかった。校長先生の判断は実に正しい、と、転勤族でいくつかの学校を渡り歩いてきたわたしは思った。

 そんな中、短い夏休みの前にふたたびA先生と懇談があった。

「わたしの体調がよくないこともたびたびあって、子どもたちには迷惑をかけてしまっているんですけれど………」

 申し訳なさそうにA先生は言った。さすがにその話題に触れないわけにはいかなかったのだろう。

「でも、○○くん(末っ子)はわたしの体調が悪くなりそうな時いち早く気付いてくれて、『先生大丈夫?』って声をかけてくれるんです。お手伝いもたくさんしてくれて、本当にいつも助けてもらってます。」

 教室には鬼滅の刃のキャラクターの絵がたくさん貼ってあった。相変わらず真面目そうで優しそうですこし顔色が悪い。そんな印象のA先生。

 でもわたしはこの時、どうしても彼女に伝えたいことがあった。

 それは、数日前。

寝たと思った末っ子が、ふとまた階段を降りてきてわたしに言った一言。

「ママ、学校の先生ってどうやったらなれるの?」

 衝撃であった。

 一番下の子らしく両親からは溺愛され、おっとりした姉とお調子者の兄をもち、それぞれの長所短所を見て学びながら育ったある意味最強末っ子であったが、一方で妙に冷めたところがあり、幼少のころから将来の夢を訊いても「それっていま決めなきゃなんないの?」と言い続けてきた彼である。

 ついにきた、この瞬間が。

 ドキドキしながらわたしは訊いた。

「学校の先生になりたいの?」

「…………うん。」

 息詰まるような間があり、なにやら神妙な顔をしていたが、深くは訊かなかった。とにかく息子の心に初めて芽生えた夢のちいさな灯火を消さぬよう、わたしは「明日一緒に調べてみようか。」と言って息子を寝室に送り出した。

 その話を、どうしてもA先生にしたかったのである。

お礼を言いたかった。息子がどうして先生になりたいと思ったのかそれは訊いていないけれど、でもいま息子が夢を持ってくれて、今わたしはとても嬉しいのだと。息子が「先生になりたい」という夢を抱いた今、彼の目の前にいた「先生」はあなたなのだと。

 しかしあまり顔色のよくないA先生を見ていると、その話をして負担になるのではないか、という思いがわたしを踏みとどまらせた。

 結果、また終始当たり障りのない話題を数分しただけで、懇談は終わってしまった。学校は夏休みに突入した。

 そしてA先生が、短い夏休みが明けてからずっと学校をお休みしていると息子から聞いたのは、つい数日前のこと。

「でも、先生来てると思うよ。」

 息子は、ぽつりと辻褄の合わないことを言う。

「なんで?ずっとお休みしてるんだよね?」

 怪訝に思って訊いたわたしに、息子は答えた。

「だって、教室のうしろの黒板のメッセージが変わってたもん。」

 教室のうしろの黒板のメッセージ。

 そういえば懇談の時にA先生が言ってた。朝の会で話す内容をつい忘れてしまうことが多いから、うしろの黒板に書いておいて、見ながら話すのだと。鬼滅の刃のイラストを添えて描いたら子どもたちが喜んで、それを楽しみにしているのだと。

「だから来てると思う。」と息子は言った。

「そうか、なんて書いてあったの?」訊いたわたしに、息子はちょっと笑って言った。

「『新学期がはじまりましたね。なつやすみはどうでしたか?先生はクーラーのきいたへやでずっとゴロゴロしていました。』って書いてあった。クーラーのきいたへやでゴロゴロだって。ゴロゴロ………」

 その時の、楽しそうな、おかしそうな息子の笑顔を、いまA先生に見せてやりたい、とわたしは強烈に思った。きっと息子は、A先生がすごく好きなんだろう。すごくすごく好きなんだろう。

 先生はいま、とてもつらく苦しい自分との戦いの中にいるのかもしれない。

 でもそんな中、子どもたちの好きなキャラクターを描いてあげたりして、一生懸命頑張っているところを、子どもたちは確かに見て、なにかを感じとっているのだと思う。子どもたちの曇りなき瞳は、心の病気だとかそんなことなどすっとばして、その人じしんの懸命な優しさを見抜いている。

「先生になりたい」と言った息子。

 いまは、それでじゅうぶんです、先生。

 息子はあなたを見て、なにかを感じ、夢を持ってくれたから。

 そのきっかけをくれた先生にもう一度会えたら、必ずこの感謝の気持ちとともにこの歌を届けたい、と、わたしは「それでいいよ」を聞くたびに思うのです。

「ねぇ それでいいよ

 いいよ いいよ

 どんな君だってそれでいいよ

 何個でも言えるくらい知ってる

 君の素敵なとこ

沢山の願い 隠さないで

全部ありのまま抱きしめたら

見慣れない街の空も

グッと好きになれる

離れてしまっても

君に届きますように」

 なにかで自信を失ってしまって、明日がくるのがちょっと憂鬱だなって思っちゃう人が、このただただ優しくどんな自分だって大丈夫なんだよ、とメッセージをくれるすてきな曲と出会ってくれたらいいと、わたしは心底思う。

 なにもできないと思わないで。

 自分なんてダメだと思わないで。

 きみの夢はどこからきたの。Sexy Zone「それでいいよ」優しさのために傷ついて、それでも懸命に子どもたちのために頑張ってくれた先生が、息子の心になにかを届けてくれた。

 だからそれでいいよ。

 弱くたって、自信がなくたって、どんな君だってそれでいい。

 君の素敵なとこを、懸命な優しさを、曇りなき子どもの瞳が知っているから。

Sexy Zoneマリウス葉さんの愛と成長を知らない。

 

「all this time」「二十歳」のたゆたう光と影の時間にいる君たちへ。

 

 2020年8月24日 掲載

 

「二十歳」のころ、覚えてますか?

わたしはもう忘れてしまった。できればこの曲を「二十歳」のころに聴いてみたかった。

「all this time」はSexy Zoneというアイドルグループのメンバー、マリウス葉さんが最新アルバム「POP × STEP!?」において発表したソロ曲なんだけど、わたしがこの文章を書こうと思ったのは、とにかく「二十歳」という子どもと大人の狭間の時間に立ち止まり、振り返り、未来への希望の光をささやかに灯すような優しいこの曲に、心がふるえるくらい感動したからである。

 ゆるやかなミディアムテンポのシンプルなアコースティックギターサウンドにのせて紡がれるその優しい歌詞は、マリウス葉さんの「二十歳」のリアル……かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 さて、マリウス葉さんとは。

 彼はドイツ産まれ、ドイツ人の父、日本人の母を持つ当時11歳。東日本大震災に心を痛め「人を幸せにしたい」と来日し、アイドルグループのメンバーとしてデビュー。

 約9年、子どもから大人への長いような短いような階段を、日本の芸能界で紆余曲折ありながらゆっくりと登ってきました。たまにテレビに出ています(主にバラエティー)。今は学業優先で大学生とアイドルの二足のわらじを履いて頑張っている「二十歳」の男の子。

 音楽好きの皆さま、「いちアイドルのソロ曲」というだけでバカにしていませんか?

 ハイ、してました。かつてわたしも。

でもね、違いました。

 この曲はまず、メロディが泣きたくなるくらい優しくてあたたかくて秀逸。そして歌詞はほぼ英語なんだけど、これがまたよいのです。

 それは「声」。

 マリウスさんのメロウで甘く、かつ不思議な透明感のある声、言うなれば寒い冬の日に飲むあたたかいレモンティーのようなまろやかと爽やかが見事に調和しているような声と、英語のやわらかな発音。そして高くも低くもない狭い音域のゆったりしたメロディライン。

 すべてがうっとりと、せつなく、あたたかく、悲しいことがあったわけじゃない、でもなんとなく不安で、ちょっと自分を励ましたい時にこの曲を聴きたい。そんな時、そっと心を包んでくれる名曲です。

 マリウス葉さんは、もともとすごくキレイな声の方なのだけど、Sexy Zoneの楽曲の中ではなかなか生かすことができなかった、希有な声質の良さがこの曲で遺憾なく発揮できていることも、このソロ曲は珠玉であるというひとつのポイントじゃないかな。これぞソロ曲の醍醐味ですよね。

 

 さてここで歌詞を抜粋。

…………しようかと、歌詞カードを見つめていたんですけれど、迷ってしまって選べませんでした。

「二十歳」のマリウス葉さんの言葉は、本当にどれもシンプルで、それでいてあたたかさに満ちていて、「これ!」という印象的なフレーズはないかわり、人柄や素直さ、その悲しみ、そして希望が、ただ静かに聴いている人の心をうつのです。

 

 本当に、生きるって難しいよね。

 なかなかうまくなんていかない。ちっとも思い通りにならない。

 大好きな人と、ケンカしちゃったり。

 大好きなのに、傷付けてしまったり。

 たくさんの笑顔。たくさんの涙。

 覚えている。まだ覚えているけど、笑顔より涙が心に残ってしまう。

 

 たしかに彼はいま、「二十歳」のなか。

 過去はまだ近く、未来は遠いようで、もう手を伸ばせば自分でつかめそうな場所にある……ような気がする。不確かで、あやふやで、でも希望の光はある。どこに?

それは不確かな未来にではなく、自分のいまここにいる 胸のなか。

 自分の心、過去を否定せず、ちゃんと受け止め、いまここまで歩んできた自分を肯定し、少しずつ望む未来へ進んでいこうとする、彼の心のなかに「希望」があるのだと。

 

 芸能界という移り変わりの激しい世界で11歳から20歳という子どもから大人への時代を過ごした彼が、こんなに前向きで堅実で、背伸びも自虐もしない、あたたかく素直な言葉を紡ぐことができることが、本当に驚きです。きっとよい人間関係に包まれていたんだろうな、と思う。

 

 わたしはまだ最近……1年半くらいかな。マリウス葉さんのグループ、Sexy Zoneを知ったばかりなので、彼の過ごした9年、その彼の愛と成長を知らない。

それでも、この曲、彼の言葉は、こんなにもわたしの心を揺さぶる。

 かつて二十歳だった人も、これから二十歳になる人も、いま「二十歳」にいる人も。

「all this time」を聴いてみてほしい。

 人生は長い。たゆたう光と影。子どもと大人の狭間で、それをじっと見つめて。

 失われし面影もまだ近く、未来への希望はまだこの手のなか。

 この手のなかの希望が、大きく花ひらく日をただひたすら、ひたむきに一歩一歩進んでゆこう。

 そんな彼の言葉は、「ちょっと疲れちゃったな」「明日はいいことあるかな」って思ってる人の心をそっとあたためてくれるんじゃないかな、と思います。本当だよ。聴いてみて。

  

「ママが言ってくれたのを覚えている

やりたいことを、やればいいと

なのに、なんでこんなに難しいんだろう

楽しくて、自分を笑顔にするものを

見つけるコトが

 

大人になったら、僕らは知るだろう

僕らが試したすべては

凄く難しいこと

 

僕らには楽しむための時間がある

だから全てを投げ出さないで

 

君にも良くないし

僕にも良くない

だって僕ら、最高だから」

 

「all this time」

作詞:Marius Yo/Kanata Okajima

作曲:Andy Love/Andres Oberg/Christoffer

Semelius

 

「POP × STEP!?」通常盤

  by SexyZone 2020

 

「夏って美味しいの……?」太陽の季節が憂鬱なすべての人へ

「夏って美味しいの……?」太陽の季節が憂鬱なすべての人へ

 Sexy Zone中島健人さんが「Hey!! Summer Honey」で夏のすべてを変えてくれる。

2020年8月21日 掲載

 夏、好きですか?

 わたしは嫌いです。

 だって暑いもん。雑でズボラなので、日焼け止め塗り忘れてすぐこんがりコーンになっちゃうし「食欲ないから水分しか入んないんだよね~」って言いながら気が付くとヘルスメーターの針がホラー映画より背筋を凍らせてくるし。

 そんなわたしなので、どんなイケメンがリゾートちっくなカッコで美味しそうにビールをあおろうと、水着ガールが波をバックに輝く笑顔で日焼け止めをぬりぬりしようと「夏は恋の季節!」では全っ然ありません!

 そう、「ありません」でした。

 中島健人くんの「Hey!! Summer Honey」を聴くまでは。

 この曲は、Sexy Zoneというアイドルグループの中島健人くんという方のソロ曲。わたしは曲を聴いた当初知らなかったのだけど、ファンの間ではかなり有名な名曲らしかったのです。

 ひょんなことからSexy Zoneの楽曲とアイドル性にハマったわたしは、とりあえず過去アルバムをいくつか購入し、その中のSexy Zone 5th Anniversary Best (初回限定盤B)のボーナストラックの中にこの曲はありました。

「へぇ~ソロ曲ね、ん?本人が作詞作曲?すごいじゃん、アイドルなのに…」と、何気なくCDをセットし、度肝を抜かれたのが、まず冒頭。

 そう、この曲はなんといってもこれに尽きる!この駄文を読んで下さっている皆さま、この曲の魔法の言葉を心して聞いてください。

「Feel it」!!!

 これです!!!

 有無を言わせず「感じろ!」

 まずどどーん!とぶっぱなしてきます。

 しかも、爽やかで透明感あふれるメロディにのせて紡がれるその詞は、まさに聴くものにこの曲の魔法をかけるたったひとつの言葉。

ごちゃごちゃ言わずFeel it!「感じろ!」と、この曲は最初に訴えてきます。

 そしてそこから続く軽快なアップテンポのラップと、清涼感あふれるハイトーンボーカル、ポップでキャッチーなメロディをどうか目を閉じて聴いてみてほしい。

きっと、すぱーん!という小気味良い音をたて、聴くものの心象風景に「夏!」「海!」「空!」「青!」「恋!」といういつか見たかもしれない、見てないかもしれないあの日の光景が否応なしにとび込んでくるので。

 それくらい、この曲はものすごい威力をもってます。だって「夏……?それって美味しいの?」って思ってたわたしが1曲聴き終わったあとに「夏……なんて最高なseason!」って宗旨変えを余儀なくされたくらいだから。もはや宗教レベル。

 そのくらい、夏大嫌い非リア充インドアオタクでさえテンションアゲアゲ(化石)になっちゃう恐ろしい魔曲「Hey!! Summer Honey」ですけれど、なにが素晴らしいって、それはなんといっても「歌詞とメロディのfeelingの気持ちよさ」です。

 声を大大大にして言いたい!

 すんごーく気持ちがいい!!!

 歌を聴いていて「ああ、いいなぁ~」と思う瞬間は人それぞれだと思うのだけど、メロディと歌詞がベストフィーリングというか……もちろんバットフィーリングな曲なんてめったにないけど、「ちょっと!これ天才じゃない?!」って、「クゥ~!」(カビラ様)ってなる瞬間ありませんか?

 サザンやYUKIちゃんの歌詞に魅せられてる方はこういう感覚理解してもらえるかな、と思うのだけど、まったく奇をてらってないのに、言葉が魔法みたいにメロディに力を与え、そしてメロディが言葉に力を与えている奇跡みたいなフレーズ。

 魔力を持ち、あるときは心を打ちのめし、またあるときは心をふるわせ、心を奮い立たせてくれることもある、そんな歌詞とメロディが相思相愛なベストフィーリングな化学反応を起こしている、まさに聴いていて「チョー気持ちいい!!!」となる曲。

 それが中島健人さんの「Hey!! Summer Honey」です。

 なお、その歌詞、内容については、あえて言及いたしません。

 なぜならこの曲は、「Feel it」!!!だから。

とにかくまだこの曲を聴いたことがない、という方は、初めて耳に入ってくる言葉とメロディの心地よさになにも考えず酔いしれてほしい。

 中島健人さんといえば、世間的にはジャニーズの王子さまなのかもしれないけど、内輪的にもまったくもってジャニーズの王子さまです。ハイ。

 この曲はまさにその彼の真骨頂というか、見事に振り切ったアイドル力がスコーンと満塁ホームランしております。中島健人さんにちょっとでも興味のある方は、「さすが中島健人……おそるべし」とそれもまた楽しめるでしょう。

嘘だ~大げさだ~と思った方は、本当に1度聴いてみてほしい。

 真剣に、アイドルのソロ曲としてこのまま埋もれてしまうのは、日本の夏にとって大いなる損失といえる名曲中の名曲です!

 夏なんて今でも大っ嫌いなんだけど、この曲を聴くと不思議とそんな憂鬱な気持ちでいるのが馬鹿馬鹿しくなって、まぶしい日射しと青い空がちょっとだけ気持ちいいなって思います。

 やっぱり海には行かないと思うけど、お天気のいい日は車の窓を開けて風を感じながらこの曲を聴いてみたい。とっても気持ちがよいと思う。

熱風にあおられてたぶん5分後にはやっぱり「夏……?それって美味しいの……?」って思うと思うけど、それはそれでよいのです。キンキンにエアコンきかせた部屋で聴いても、とってもいい曲ですよ(結局それ)。

 とにかくこの曲が夏の定番ソングとして定着し、渚のビーチで「夏………最高!」っていいながら、ご機嫌なビートと爽やかなメロディにのっかたった「チョー気持ちいい!!」ベストフィーリングな言葉たちに身を任せる日々を夢想しつつ、リクエストハガキを書く毎日です。夏を愛するDJの方々、誰か流してー!

「Hey!! Summer Honey

Sexy Zone 5th Anniversary Best (初回限定盤B)(DVD付)